チームスローガンを「原点」としてスタートした宮崎リトルシニア新チーム。
一投一打に後悔が残る事無く、全力プレーで道を切り開いて欲しいとの願いを込めた応援ブログです。
タイトル通り、嵐の様なスケジュールの為、更新が出来ずに来てしまいました。
気が付けば、夏の甲子園も日大三高の優勝で幕を閉じ、少しずつですが朝夕に涼しさを感じて、秋の気配が漂う季節になって来ました。
とは言うものの、日中の暑さはまだまだ厳しく、球児達にとっては過酷な暑さとの戦いが続きます。
8月3日(水)に宮崎に帰って来た選手達は、その後8月15日から3日間開催された第1回東アジアリトルシニア野球宮崎大会、8月20日より3日間の日程で開催された第1回西日本野球選手権大会と、2連続で全国規模の大会に挑みました。
8月15日(月)から開催された第1回東アジアリトルシニア野球宮崎大会は、宮崎市が主催し、北海道や東北、関東、関西と全国からチームが参加し、台湾と韓国からも1チームずつ参加して、計24チームで予選リーグと決勝トーナメントを行いました。
宮崎リトルシニアは、予選リーグ2勝で決勝トーナメントに進出。
盛岡南リトルシニア(岩手)さん、三島リトルシニア(静岡)さんと対戦しながら決勝へ進出しました。
決勝の対戦相手は友部リトルシニア(茨城)さんで、決勝戦まで強烈な打撃と逆転勝ちを繰り返す粘り強さで勝ち上がって来た好チームです。
序盤、先攻宮崎の打線が好調で、4回表まで4-0と試合の主導権を握ります。
先発岩切俊憲君も、強打者が揃う友部打線を丁寧な投球で無失点に抑えていました。
然し4回裏に岩切君が突如乱れ、友部打線に捕まります。
3点を失った所で境田恭太郎君にスイッチ。
境田君がピンチでの登板にも拘らず、粘りの投球で後続を抑えます。
6回には、準々決勝の大分西南リトルシニア戦で第二球場のライトスタンドにサヨナラ本塁打を放り込んだ4番打者に対し、小川晃君が境田君を引き継いで見事な投球を見せ、内野ゴロで仕留めました。
その後、小川君に変わり杉尾剛史君が登板、立ち上がりに1点を失い同点とされましたが、粘りの投球で好投し、勝負は延長に持ち込まれました。
8回表宮崎が無失点で終わったその裏、決して本調子でなかったけれど、何とかこれまで抑えていた杉尾君のコントロールが乱れ、ランナー1・2塁とします。
その後、次の打者に左中間適時打を打たれ、痛恨のサヨナラ負け。
第1回東アジアリトルシニア宮崎大会と銘打った今大会で、開催地の優勝と言う目論見は見事に崩れました。
然しながら、日本選手権から日が浅く、疲れも溜まっていた選手達は一生懸命頑張ってくれたと思います。
2年生木原真君は、今大会絶好調で何度もチームを救いました。
3年生の横山拓海君も、春先から調子を崩していましたが、漸く本来の力を出せる様に復調して来ました。
長濱史哲君が毎試合ラッキーボーイ的な存在で、チャンスメーカーとして活躍しました。
黒木隆正君が、ピンチランナーとして俊足を飛ばし、相手バッテリーにプレッシャーを与えミスを誘いました。
準優勝と言う成績は、立派だったと思います。
東アジア大会から2日後、第1回西日本野球選手権大会が宮崎を開催地として行われました。
今大会はリトルシニアの東海連盟、関西連盟、九州連盟の三団体、計199チームの中から32チームが選抜されトーナメント方式で行われました。
1回戦の対戦相手は、南京都リトルシニアさん(京都府)でした。
初回に1点を先制されましたが、終盤に打線が爆発し、5回には一挙6点を奪う猛攻を見せ、10-3で6回コールド勝ちを収めました。
2回戦は愛知衣浦リトルシニア(愛知県)さんに4-2で勝利し、準々決勝では明石リトルシニア(兵庫県)に4-0で完勝しました。
大会最終日となった22日、準決勝の瀬戸リトルシニア(愛知県)さんには4-0で勝利し、2大会連続で決勝戦まで勝ち上がりました。
決勝戦の対戦相手は愛知江南リトルシニア(愛知県)でした。
序盤、両チームとも塁上を賑わしますが決定打が出ず0-0のまま4回まで進みます。
5回表に宮崎が1点を先制。
続く6回にも吉野祥平君のタイムリーで2点を奪い、3-0で快勝。
地元開催の意地もあったのか、第1回西日本野球選手権大会を見事優勝で飾りました。
5月の日本選手権予選リーグから、宮崎の選手達は本当に成長し、この夏の嵐の様な「大会ラッシュ」に様々な好成績を残して来ました。
然しながら面白いと言うか、何と言うか、以前にも「低血圧打線」などと勝手に名称を付けましたが、本当に中盤から終盤までに得点をする事が多く、ヒヤヒヤものの試合展開が多かったのも事実です。
因みに日本選手権予選リーグから西日本大会まで宮崎リトルシニアの公式戦は17戦ありましたが、戦績は14勝3敗、勝率8割2分4厘でした。
そのうち7点差以上の試合が7試合ありますが、コールドゲームは5試合。
1試合平均5.88点と高い得点力を誇るのですが、後半に偏る傾向が見られます。
5回以降の得点率は6割4分3厘に対して5回以前の得点率は3割5分7厘と、如何に5回以降まで「眠った状態」なのかが分かります。
特に5回以降3点以上得点する所謂「ビッグイニング」の発生率は6割4分3厘と驚異的な数字で、後半集中打が爆発して勝負を決めた試合が殆どだったと言えるでしょう。
こう言った数字を見ると「打撃のチーム」と言う印象が強いのですが、防御率が17試合で1.80点と1点台で頑張る投手陣の踏ん張りと、守備の硬さが序盤に「我慢の野球」をし、後半の爆発に繋がっていた事が分かります。
単なる地方大会のみでの成績ではなく、全国大会も加えての数字ですので、かなり信憑性も出てくるのではと思っておりますが、17試合(総イニング109回)で得点100点、失点28点、得点率0.917、失点率0.257、得失点率0.661は、選手達の成長と頑張り無しではあり得ない数字だったと思います。
嵐の様な1週間も漸く終わりを告げました。
然しながら4日後には3年生最後の大会「第6回西日本新聞社旗争奪夏季野球大会」俗に言う夏季大会が始まります。
親も子も本当に疲れ果てた1週間でしたが、暫し休息をとった後、また最後の戦いに挑みます。
この夏の最後の思い出は、本当に嬉しい思い出となって欲しいと願いながら、準備を進めて行きたいと思います。
最後に、東アジア大会を主催なさった宮崎市の職員の皆様、参加チームの皆様、関係者の皆様、西日本大会を主催したリトルシニア各連盟の皆様、参加チームの皆様、関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。
忙しくて目が廻りそうだったけれど、充実して楽しかった1週間でもありました。
みんなが光り輝き、太陽の様に明るく元気に躍動した真夏の祭典は、其々の人達にとっていろんな形で忘れられない思い出となると思います。
最後の夏季大会へ向けて、また明日から頑張ろう!
ありがとうございました。
気が付けば、夏の甲子園も日大三高の優勝で幕を閉じ、少しずつですが朝夕に涼しさを感じて、秋の気配が漂う季節になって来ました。
とは言うものの、日中の暑さはまだまだ厳しく、球児達にとっては過酷な暑さとの戦いが続きます。
8月3日(水)に宮崎に帰って来た選手達は、その後8月15日から3日間開催された第1回東アジアリトルシニア野球宮崎大会、8月20日より3日間の日程で開催された第1回西日本野球選手権大会と、2連続で全国規模の大会に挑みました。
8月15日(月)から開催された第1回東アジアリトルシニア野球宮崎大会は、宮崎市が主催し、北海道や東北、関東、関西と全国からチームが参加し、台湾と韓国からも1チームずつ参加して、計24チームで予選リーグと決勝トーナメントを行いました。
宮崎リトルシニアは、予選リーグ2勝で決勝トーナメントに進出。
盛岡南リトルシニア(岩手)さん、三島リトルシニア(静岡)さんと対戦しながら決勝へ進出しました。
決勝の対戦相手は友部リトルシニア(茨城)さんで、決勝戦まで強烈な打撃と逆転勝ちを繰り返す粘り強さで勝ち上がって来た好チームです。
序盤、先攻宮崎の打線が好調で、4回表まで4-0と試合の主導権を握ります。
先発岩切俊憲君も、強打者が揃う友部打線を丁寧な投球で無失点に抑えていました。
然し4回裏に岩切君が突如乱れ、友部打線に捕まります。
3点を失った所で境田恭太郎君にスイッチ。
境田君がピンチでの登板にも拘らず、粘りの投球で後続を抑えます。
6回には、準々決勝の大分西南リトルシニア戦で第二球場のライトスタンドにサヨナラ本塁打を放り込んだ4番打者に対し、小川晃君が境田君を引き継いで見事な投球を見せ、内野ゴロで仕留めました。
その後、小川君に変わり杉尾剛史君が登板、立ち上がりに1点を失い同点とされましたが、粘りの投球で好投し、勝負は延長に持ち込まれました。
8回表宮崎が無失点で終わったその裏、決して本調子でなかったけれど、何とかこれまで抑えていた杉尾君のコントロールが乱れ、ランナー1・2塁とします。
その後、次の打者に左中間適時打を打たれ、痛恨のサヨナラ負け。
第1回東アジアリトルシニア宮崎大会と銘打った今大会で、開催地の優勝と言う目論見は見事に崩れました。
然しながら、日本選手権から日が浅く、疲れも溜まっていた選手達は一生懸命頑張ってくれたと思います。
2年生木原真君は、今大会絶好調で何度もチームを救いました。
3年生の横山拓海君も、春先から調子を崩していましたが、漸く本来の力を出せる様に復調して来ました。
長濱史哲君が毎試合ラッキーボーイ的な存在で、チャンスメーカーとして活躍しました。
黒木隆正君が、ピンチランナーとして俊足を飛ばし、相手バッテリーにプレッシャーを与えミスを誘いました。
準優勝と言う成績は、立派だったと思います。
東アジア大会から2日後、第1回西日本野球選手権大会が宮崎を開催地として行われました。
今大会はリトルシニアの東海連盟、関西連盟、九州連盟の三団体、計199チームの中から32チームが選抜されトーナメント方式で行われました。
1回戦の対戦相手は、南京都リトルシニアさん(京都府)でした。
初回に1点を先制されましたが、終盤に打線が爆発し、5回には一挙6点を奪う猛攻を見せ、10-3で6回コールド勝ちを収めました。
2回戦は愛知衣浦リトルシニア(愛知県)さんに4-2で勝利し、準々決勝では明石リトルシニア(兵庫県)に4-0で完勝しました。
大会最終日となった22日、準決勝の瀬戸リトルシニア(愛知県)さんには4-0で勝利し、2大会連続で決勝戦まで勝ち上がりました。
決勝戦の対戦相手は愛知江南リトルシニア(愛知県)でした。
序盤、両チームとも塁上を賑わしますが決定打が出ず0-0のまま4回まで進みます。
5回表に宮崎が1点を先制。
続く6回にも吉野祥平君のタイムリーで2点を奪い、3-0で快勝。
地元開催の意地もあったのか、第1回西日本野球選手権大会を見事優勝で飾りました。
5月の日本選手権予選リーグから、宮崎の選手達は本当に成長し、この夏の嵐の様な「大会ラッシュ」に様々な好成績を残して来ました。
然しながら面白いと言うか、何と言うか、以前にも「低血圧打線」などと勝手に名称を付けましたが、本当に中盤から終盤までに得点をする事が多く、ヒヤヒヤものの試合展開が多かったのも事実です。
因みに日本選手権予選リーグから西日本大会まで宮崎リトルシニアの公式戦は17戦ありましたが、戦績は14勝3敗、勝率8割2分4厘でした。
そのうち7点差以上の試合が7試合ありますが、コールドゲームは5試合。
1試合平均5.88点と高い得点力を誇るのですが、後半に偏る傾向が見られます。
5回以降の得点率は6割4分3厘に対して5回以前の得点率は3割5分7厘と、如何に5回以降まで「眠った状態」なのかが分かります。
特に5回以降3点以上得点する所謂「ビッグイニング」の発生率は6割4分3厘と驚異的な数字で、後半集中打が爆発して勝負を決めた試合が殆どだったと言えるでしょう。
こう言った数字を見ると「打撃のチーム」と言う印象が強いのですが、防御率が17試合で1.80点と1点台で頑張る投手陣の踏ん張りと、守備の硬さが序盤に「我慢の野球」をし、後半の爆発に繋がっていた事が分かります。
単なる地方大会のみでの成績ではなく、全国大会も加えての数字ですので、かなり信憑性も出てくるのではと思っておりますが、17試合(総イニング109回)で得点100点、失点28点、得点率0.917、失点率0.257、得失点率0.661は、選手達の成長と頑張り無しではあり得ない数字だったと思います。
嵐の様な1週間も漸く終わりを告げました。
然しながら4日後には3年生最後の大会「第6回西日本新聞社旗争奪夏季野球大会」俗に言う夏季大会が始まります。
親も子も本当に疲れ果てた1週間でしたが、暫し休息をとった後、また最後の戦いに挑みます。
この夏の最後の思い出は、本当に嬉しい思い出となって欲しいと願いながら、準備を進めて行きたいと思います。
最後に、東アジア大会を主催なさった宮崎市の職員の皆様、参加チームの皆様、関係者の皆様、西日本大会を主催したリトルシニア各連盟の皆様、参加チームの皆様、関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。
忙しくて目が廻りそうだったけれど、充実して楽しかった1週間でもありました。
みんなが光り輝き、太陽の様に明るく元気に躍動した真夏の祭典は、其々の人達にとっていろんな形で忘れられない思い出となると思います。
最後の夏季大会へ向けて、また明日から頑張ろう!
ありがとうございました。
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